逸話が多いお菓子ほど、世界で広く愛されている――。そう語るのは、辻調理師専門学校 東京の喜多村貴光先生です。公益社団法人 東京都洋菓子協会様主催の定期講習会(2026年9月24日、東京・世田谷区の洋菓子会館)で先生が題材に選んだのは、逸話の残る二つの古典菓子、フランスのタルト・タタンとウィーンのザッハトルテでした。
長年同校で教壇に立ち、若い頃にはウィーンの菓子店で研修を積んだ先生が、古典をどう解釈し直したのか。くるみと抹茶で仕立てた2品をレポートします。
目 次
- 逸話の残る古典から。「サブレ・ポム・タタン・ノワ」
- ザッハトルテを抹茶で描く「グリューネ・トルテ」
- 抹茶でも、シャリ感と甘さはザッハトルテのまま
- 「ミルク感の中に、少しの塩味」先生が選んだホワイトチョコレート


逸話の残る古典から。「サブレ・ポム・タタン・ノワ」
タルト・タタンは、フランス中部ソローニュ地方の町ラモット=ブーヴロンにあった「ホテル・タタン」が発祥とされるお菓子です。19世紀後半、ホテルを営むタタン姉妹がりんごのタルトを作る際に手順を誤り、りんごの上から生地をかぶせて焼き上げた。それをひっくり返して出したところ評判になった、という逸話が伝わっています(細部には諸説あります)。キャラメル色のりんごが表面に来る独特の姿は、ここから生まれました。
喜多村先生のアレンジは、キャラメリゼしたりんごと生地という古典の骨格はそのままです。そのうえで、土台を塩味の効いたサブレ・ブルトンにし、くるみのクリームを重ねています。先生が語った「現代風に解釈して、さらにおいしくしていく」という言葉の通り、古典を出発点にして、いまの味に近づけていく発想です。
作り方にも、いまの手法が取り入れられています。キャラメルは毎回炊くのではなく、まとめて作ってパウダー状にストックしておく。りんごは薄くスライスして、キャラメルを中心まで行き渡らせる。どちらも近年広がっているやり方です。
その根底にあるのは、店で毎日同じものを出すという視点でした。キャラメルを都度炊くと、焦がし具合は作る人や量によって変わります。まとめて作っておけば、「誰が作ってもそこから先は同じ」になります。先生は「家で作るなら1回ずつ作るほうが楽しい。でも商売でやるなら揃えないといけない」とも話していました。
レシピの数字にも理由が添えられます。かなり多めのベーキングパウダーは「間違いではありません」と前置きしたうえで、同校のフランス校のスタイルに倣ったものだと説明していました。古典への愛着と、現場で品質をそろえる現実的な目線。その両方がうかがえる一品でした。


ザッハトルテを抹茶で描く「グリューネ・トルテ」
二品目は、ウィーン菓子の代表格ザッハトルテを抹茶でアレンジした「グリューネ・トルテ」です。ジャパン・ケーキショーで発行される技術指導部による公式レシピ集「スイーツコレクション」のために考案した一品です。
ザッハトルテは、1832年、オーストリアの宰相メッテルニヒの宴席のために、見習いだったフランツ・ザッハーが考案したとされるチョコレートケーキです。チョコレート生地にアプリコットジャムを塗り、全体をチョコレートの糖衣で覆ったシンプルな構成で、のちにホテル・ザッハーの看板菓子になりました。その「オリジナル」を名乗る権利をめぐって、ホテル・ザッハーと菓子店デメルが裁判で争ったことでも知られ、名前そのものに重みのあるお菓子です。
先生がウィーンで研修していた頃、ザッハトルテを置かない店はありませんでした。一方で、アレンジした商品を出す店もなかったといいます。どの店も同じお菓子を作り、配合や自家製のジャムで少しずつ違いを出していたそうです。いろいろな味を生み出す日本とは、古典との付き合い方が異なります。古典に手を加えて同じ名前で売ってよいのか。先生も以前から迷っていたそうですが、「やらないうちに終わってしまう」と思い切って形にしました。名前はあえてザッハトルテとせず、ドイツ語で「緑のお菓子」を意味するグリューネ・トルテと付けています。
変えたのは、味の組み立てです。チョコレートは抹茶の緑を生かすためにホワイトに、アプリコットジャムは柚子のコンフィチュールに置き換えました。柚子の酸味で、グラサージュの甘さと抹茶の苦味のバランスを取っています。グラサージュは深い緑、断面はやや淡い緑、添えるシャンティはさらに淡い緑にして、三つの緑で見た目のグラデーションも作っています。一方、生地・ジャム・糖衣という骨格はザッハトルテのまま残しています。


抹茶でも、シャリ感と甘さはザッハトルテのまま
骨格のなかでも、先生がこだわりを見せたのがグラサージュです。ザッハトルテの表面は、煮詰めた糖液の中で砂糖が再結晶してできています。今回も抹茶と砂糖、チョコレートを110℃まで煮詰め、温度を下げて砂糖を結晶させる、伝統的な手法で仕上げています。
この結晶が、固まったときのシャリッとした食感を生みます。薄くかければ食感は軽くなりますが、このシャリ感は失われてしまいます。先生は、マカロンがそうであるように、砂糖の結晶でできた糖衣のしっかりした甘さもザッハトルテの持ち味の一つだと話します。シャリ感とその甘さこそが、このお菓子の身上です。味は変えても、ザッハトルテをザッハトルテたらしめる部分は守る。その線引きに、先生の古典への向き合い方が表れていました。

「ミルク感の中に、少しの塩味」
先生が選んだホワイトチョコレート
グリューネ・トルテのビスキュイとグラサージュには、弊社のNKガーナホワイト フランス34をお使いいただきました。抹茶の緑を生かすには、黒いチョコレートではなくホワイトチョコレートを選ぶ必要があります。先生は事前にお送りした複数の製品資料のなかから、この一品を選んでくださいました。
先生は受講者にこのチョコレートを紹介し、フランス産の全粉乳を使っているためミルク感が強く、そのなかに少し塩味がある、と特徴を説明しました。今回は、ミルクの味わいを出しながら抹茶の苦味をまろやかにする使い方です。ホワイトチョコレートは甘さが立ちやすいため、ビスキュイでは砂糖の一部をトレハロースに置き換え、メレンゲにも塩を加えています。先生ご自身も「ちょっぴり塩味が好み」と話していました。

古典の背景や成り立ちに敬意を払い、名前ひとつにも筋を通す。そのうえで、いまの素材と技術で新しい一品に仕立てていく。喜多村先生の菓子づくりの考え方に触れた講習会でした。喜多村先生、アシスタントの大澤様、そして東京都洋菓子協会の皆様、ありがとうございました。




